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平成23年9月20日更新
雨雪の巻
■怖い雨台風ですが・・・
日本人に馴れ親しんでいる雨。ぱらぱら、しとしと、ざーざー、いろいろな雨音が聞こえてきます。大水で川を氾濫させたり、土砂くずれで災難をもたらす雨。 それでも、雨や雪にまつわる日本語の美しさは比類がありません。自然の恐怖と同時に、美しい言葉の数々。ご存知ですか。たとえば・・・
霧雨 きりさめ 霧のように細かい雨。
小糠雨 こぬかあめ 糠のように細かい雨粒が、音を立てずに静かに降るさま。
驟雨 しゅうう 雨が強弱の変化を繰り返しながら振り、急にやむことをいいます。
村雨 むらさめ 強くなった弱くなったりしながら、降り続く雨。群がる雨です。
篠つく雨 叩きつけるような雨は点ではなく線にみえます。まさに棒状の篠が、突き刺すかのように降ってくるような感じの雨。
涙雨 なみだあめ 涙のようにほんの少しだけ降る雨。悲しいときやうれしいときなど、感情の変化を映した雨。
通り雨 とおりあめ 雨雲がすぐ通り過ぎてしまい、降りだしてすぐに止む雨。
時雨 しぐれ 冬の初め、風が強くなると共に降ってはやみ、繰り返して通り過ぎてゆく雨のこと。秋が更けゆき、冬は間近に。
雨とひと口にいってもいろいろ。和歌や俳句の季語に取り入れられています。昔ならではのこうした日本語は後世に残していきたいものですね。

■美しい雪の呼び名
雨の後、北陸は雪の季節に入り、白山が衝立となり、そのふもとに雪を降らせます。
ここ加越酒造の地も、雪でおおわれて、おいしい酒を醸す風土に。
雪の呼び名も、馴染みが深い風花(かざはな)晴天時に風に乗って舞い落ちてきます。
六花(りっか) 六角形の雪の結晶のかたちから、天花(てんか)、天華ともかきます。
白魔(はくま)大雪を悪魔に見立てるときなどに用いられる言葉です。
青女(せいじょ)古代中国で、霜や雪を降らすとされている女神です。
■大雪だから美味い酒が生まれる
雪の状態から淡雪、薄雪、粉雪、細雪、どか雪、べた雪、ぼたん雪、綿雪などの表現があります。こうした寒い季節は雑菌がいなくなるので、酒造りに適しています。
粉雪(こなゆき) さらさらして粉末状で、乾燥した雪。スノーボードやスキーに最適。特別に寒い日に降る雪。
玉雪(たまゆき) 球形をした雪。冬の初めや終わりの時期、雪雲の先端などで見られます。
綿雪(わたゆき) ちぎった綿の様に大きな雪片からなる雪。水分を含み、重みのある雪。すぐに屋根の雪おろしをしなければならない。
餅雪(もちゆき) 水分を多く含む雪。餅のように柔らかく形を変えられるので、雪だまや雪だるまがなどがつくりやすい。
牡丹雪(ぼたんゆき) もち雪よりも水分が多く、べちゃっとした雪。団子状に固まっている。この雪が降ると、大雪になり、一晩に50cmはすぐに積もる。
淡雪(あわゆき) 牡丹雪よりもさらに融けがすすみ、水分の多い雪。水雪ともいい、春近くなると降り、すぐに融ける。

雪による寒さは酒造りになくてはなりません。蒸した酒米を寸時に冷やすことができ。美味しい酒を醸造するには欠かせない寒さ。冬の寒さは美味い酒をつくる自然の知恵なのです。


平成23年2月12日更新
桜の巻
山桜 霞の衣をあつくきて
この春だにも 風つつまむ
         歌・西行

桜の名の由来はさくや姫から
わたしたちになじみが深いソメイヨシノ。
公園や川べりに植えられ、雲のように白一色。豪華で、清楚で、風にのせられて夢幻の世界への誘い。ソメイヨシノは、江戸末期の東京巣鴨の染井村で、植木職人の手でつくられた桜です。 オオシマザクラとエドヒガンの雑種と云われています。山の中に育つヤマザクラは赤褐色の葉が出ると、すぐに花が咲きます。
万葉集など、昔の歌にうたわれている桜はこのヤマザクラのことです。
伝説では、桜の霊である「木之花咲耶姫(このはなさくやひめ)」が最初の桜のタネを富士山からまいたといわれ、「さくやひめ」の名前から「さくら」の名が生まれたと。
「古事記」にも出てきて、「木之花」は「木花」と書かれることもあり、この花(桜)のように美しい姫という意味です。
やがて、着物の桜模様が話題にあがり、家紋にも取り入れられたりされています。食べ物の名にも、桜湯、桜味噌、桜漬け。目を引く美しい魚には桜鯛、桜ウグイ。美しく映える桜花に寄せる日本人の思いを思い起こさせてくれます。
はらはらと散る桜の花はいつしか、武士に似せて、武の者の心になってしまいました。
いさぎよい散り方が「散華」の魂とされ、忠臣蔵では、赤穂の浅野内匠頭の切腹に場面に桜が散るシーンが必ずと言ってよいほど出てきます。

■地域の人の優しさが育てた千恵子桜
小松市松岡町の山里に、そのしだれ桜があります。戦後間もない六十年前、村人の妹さんがブラジルにお嫁に行くことになり、妹のことを忘れないようにと、 しだれ桜の苗木を家の横に植えたところ、樹高十七メートルにまで大きくなったそうです。妹さんの名前は千恵子、今もブラジルでご健在。たった六十年で、こうまで大きくなることができるものなのか。樹囲は二メートル六十。 花見時、周りに縄を張って樹の近くまで入れなくしてあるのは、根を傷ませないため。村の人が皆で肥料をやり、この千恵子桜の世話をされています。雪をまとったかのように、地にまで垂れ下がる桜。 ひと時、夢幻の世界へと誘ってくれるのも、千恵子さんの望郷がなせる幻術か。夜は照明をしてくれています。
■桜の開花宣言について
桜の開花前線予想がいろんなところから発表され、一日の平均気温がだいたい十度を越えたら「開花」宣言。(最高気温が十四度、最低気温が六度ぐらいです)。 花見頃は開花宣言から一週間ぐらいあとが最高潮。
花見は昔ほど盛んではなくなりましたが、落語の「長屋の花見」のように、香の物を卵焼きとして、騒いだりして、浮世を離れてお楽しみください。白く、霞がかかったような桜につつまれ、手にするのは「加越」。

■酒粕にまつわる、ガッテン話
テレビ番組「ためしてガッテン」で紹介された酒粕。酒粕をお湯で溶かして、適度に砂糖を加えるだけでつくれる甘酒。善玉コレステロールを増やしてくれる、すぐれもの。血管を若返らせてくれます。 発酵食品として、身近にあった酒粕。テレビで紹介されたとたんに、注文が殺到。甘酒、粕汁、粕漬けなどにお確かめ下さい。自然食品で、元気に、いつまでも若々しく。
酒粕パワーに驚かされますよ。
■大雪だから美味い酒が生まれる
今年の大雪は、北陸でも屋根の雪下ろしで大変。久しぶりの大寒波の到来。でも、この寒さは酒づくりにはなくてはなりません。
蒸した酒米を寸時に冷やすことができ、雑菌も少なく、美味しい酒を醸造するには欠かせられない寒さ。やはり、冬は寒くなければ。美味い酒をつくる自然の知恵なのです。


平成22年2月12日更新
安宅湊物語
安宅の関は能楽、歌舞伎だけでなく、北前船の寄港地としても名高い
■安宅湊は古くから、海と陸の要地。北前船の寄港地として知られている。
安宅は梯川(旧安宅川)河口の港町であり、かつての官道(木曽街道)の中継点として、平安時代には安宅駅に馬が置かれるなど、古くから南加賀の海と陸の要地であった。
加賀藩領に属し、元禄期の安宅村は千人余りの人口を擁していた。小松が三代藩主前田利常の隠居城となり、城下町を形成していたため、安宅はその外港として賑わいを見せた。船荷の往来も盛んになるにつれ、塩屋・橋立、本吉、宮腰などとともに北前船寄港地として繁栄。
やがて、一国一城の法ができ、小松から武士が金沢に移ったものの、職人たちは残り、小松絹物も栄え、安宅にも船問屋が並び、船主の御殿が建てられた。名高い北前船主に米谷半平、松村伊右衛門などがおり、彼らは近江商人の雇われの身からのし上がった大船主でもある。
ところが、明治31年に北陸本線が開通すると海運業は急速に衰退、沿岸漁業中心であったこともあり、漁獲高が減少、賑わいは過去のものとなった。松林に面影を見るのみ。


与謝野晶子「松たてる安宅の砂丘そのなかに清きは文治三年の関」と詠まれている。

安宅は「義経記」などに取材した能楽作品。成立は室町時代。義経主従が奥州に落ちる途中、安宅の関で関守にとめられ、弁慶がいつわりの、白紙の勧進帳(寺院などの建立にあたって寄進を集めるための意書)を読んでその場を逃れた逸話を描く。後世、浄瑠璃、歌舞伎などの義経物の代表的作品となる。

■俗に、ノコギリ商いと言われて
安宅の名は安宅関の名で知られ、源平合戦の伝説もあり、能楽にも演じられている。安宅湊からの物資を輸送した帆掛け船が小松市で荷揚げを行っていた。古代より、貢米や諸物資の輸送、渤海国との通交もあって、海上貿易が発達。
江戸時代に入ると、寛文年間に西廻り航路が開発されたことで、航路が安定し「北前船」が活躍することとなりました。北前船は大阪と蝦夷とのあいだを下関経由で往復、日本海の沿岸各地に寄港しながら、品物を売り買いして利益をあげ、行きと帰りのノコギリ商いで、当地では、前田利常の奨励した産物が蝦夷や大阪方面に運ばれました。古着や莚、米を蝦夷に運び、昆布や鰊など海産物を大阪に運んだのです。ムダの無い商法でした。


■安宅の住吉さんは開運厄除の神様。
安宅住吉神社。古くより陸・海路の要所として栄えた安宅の地に祀られ、「安宅の住吉さん」として親しまれ、昔は安宅住吉大明神・二宮住吉大明神・住吉宮とも称された。
航路の安全を祈願した船絵馬が安宅住吉神社に多く奉納されている。
創建は奈良時代で、天保4年に現在の二堂山に遷座した。北陸道往来の人々が必ず詣でた古社で、古来より、交通安全、縁結び、開運厄除、また、難関突破の霊神として信仰を受ける。
浄瑠璃、歌舞伎としての史跡「安宅の関跡」をはじめ、与謝野晶子歌碑、森山啓文文学碑もある。


平成20年2月13日更新
■桜に酔う、小松市松岡町の千恵子桜。山里の、地域の人に慕われているしだれ桜
60年前、村人の妹さんがブラジルに嫁ぐことになり、大阪まで見送りに行った帰りに、妹さんを忘れないようにと求めた苗が大きくなったもの。村人皆で世話をし、年2回の肥料をやったりして。白く雪をまとったように、枝は地まで垂れて咲く桜花。ひと時、夢幻の世界へと誘ってくれるのも、異国にいる千恵子さんの望郷のなせる幻術か。
数ある桜の木に負けない、千恵子桜である。

■小松の名産といえば、うどんと和菓子に地酒。いずれも、白山の水から。
小松のうどんの歴史は江戸時代にさかのぼり、当地を訪れた俳人松尾芭蕉も礼賛したといわれている。和菓子も茶道が盛んなこともあり、いろいろ銘菓が創作されている。地酒はなんといっても、「加越」。いずれも、白山の伏流水を利用した伝統ある美味しさ。豊かな自然に恵まれた歴史と産物。
■「ALWAYS・三丁目の夕日」にも登場した、昭和の自動車が勢揃い。日本自動車博物館
ダイハツミゼットや陸王、日野ルノーなど、時代を超えて語りつぎたい、大衆車や名車がいっぱいの博物館。懐かしい香りが漂ってきそう。
■大倉岳・尾小屋鉱山跡のハイキングコースを歩く。
新緑に包まれ、辛夷(こぶし)、山桜から山つつじに移る頃、碧の木陰を歩き、野鳥のさえずりを耳に歩くと、心もリフレッシュ。近くの尾小屋鉱山資料館は三百年の歴史を語ってくれ、一時期、銅の生産量が日本一を誇るほどの鉱山であった尾小屋鉱山。地下のマインロードを訪ね、当時のポッポ汽車を見るのもいい。
宮本三郎美術館(小馬出町)を訪ねる、アートな春の一日。
小松出身の洋画家・宮本三郎氏(1905〜1974)の作品をあつめ、旧倉庫を利用し、鉄骨とガラスのモダンさがマッチした、建物が見印。宮本の華麗な色の魔術と風景から裸婦、花と静物など多様な作品群が見られる。生誕地である松崎町の別館宮本三郎ふるさと館とあわせて見学したいもの。
■桜の芦城公園内に、仙叟屋敷と玄庵
前田家三代藩主利常の隠居城があった小松の地。その利常に御茶堂として仕えた千家四代目叟室。その没後三百年を記念して、裏千家より寄贈された建物「仙叟屋敷と茶室玄庵」。茶室は「九山八海」を表現。
毎年、茶会も開かれています。
ひと時、小松は金沢から重臣がお伺いに訪ねるぐらいの藩の政治の中心であった。
「浮き城」と呼ばれるだけあり、あたりは湿地帯で芦が生え、三の丸跡は「芦城(ろじょう)公園」と称され、桜の古木に囲まれ、市民の花見に親しまれている。

■水芭蕉の可憐な花が見られる。
大倉岳に向かう途中、布橋の自生地。大倉岳のハイキングコースで、そして五百峠を越えた丸山にある横谷の自生地で、群生する水芭蕉が見られる。
■赤瀬ダムの周りは桜で一色。
市の郊外、那殿観音は那谷寺の奥の院でもある。白山を開いた泰澄大師が黄金仏を頭にかけ、下山の後に安置されたところとされる。赤瀬ダムには、桜並木が続く。
平成19年11月15日更新
■ブリは出世魚、名を変えて大きくなる
ブリ起こしの雷とともに、冬将軍の到来です。不思議と、この雷が鳴り出すと、日本海で大敷網にブリが獲れだし、港は大賑わいに。寒ブリは脂がのり、刺身によし、火が燃え上がるほどに脂がのったブリの塩焼き、ブリカマの美味しさはなんともいえません。大根と一緒に荒炊くとブリ大根も、昔からふるさとの味。そして、酒の肴にうれしいブリのぬた。ブリとおろし大根の取り合わせが格別ですぞ。
冬の味覚は魚の大様ブリから。

■平家の武将・斎藤別当実盛の兜
松尾芭蕉の「あなむざん兜の下のきりぎりす」の句碑が建つ、上本折町、多太神社。年老いた実盛は白髪を黒く染めて、出陣。片山津の近く篠原に露と消えた武将。兜、大袖、直垂などが、勝った木曽義仲の手で奉納されています。木曽殿が好きだった芭蕉ならではの、無常を感じさせる句です。
■その名も、勇松。本名は北出亀松。
安政三年、小松生まれ。金沢・寺井間を七時間三往復した走り屋。明治三十五年の上野 不忍池で行われた十二時間耐久レースに参加し、池の周りを百二十回まわって、一位になったといわれています。毎秋に行われる小松全日本鉄人レースは、勇松を記念したもの。
■小松の歴史に、那谷寺あり。
那谷寺は、養老元年(717)に泰澄大師が千手観音を得て創建し、花山法皇が西国33か所の霊所に準ずるところとして再建。その後、一向一揆の乱で荒廃。前田家三代藩主利常が復興させました。奇岩、古松がつづく景で、「石山の石より白し秋の風」と芭蕉が詠んでいます。本堂の大悲閣は寛永19年に建立。同じ年に、三重塔も建立。三間四方の三層で、中心の柱がなく、各層ごとに組み立てられているのが特徴。 その他、護摩堂も国の重要文化財に。庫裏庭園は小堀遠州が作庭されたと伝えられ、古式豊かな庭園です。晩秋から雪が降る那谷寺もいっそう風情があり、忘れられない印象を約束してくれましょう。
■天下に知られた小松絹。
古く、鎌倉末期の文献に記されている小松の織物。15世紀には、上品絹の名が出てきます。前田利常が小松に隠居し、大いに保護奨励したので、いちだんと盛んになり、羽二重、表絹が織られ、元禄11年には絹道会所も設立され、小松絹はいちやく天下に知られるところとなりました。
■雪に覆われる、冬の自然も格別。
尾小屋銅山のあった近くの大倉岳スキー場を訪ねるのもよし、大杉谷へ向かうのもよし。はたまた、粟津の湯に飛び込み、雪見酒と洒落るのもいい。冬も海から山まで幅広く楽しめる小松の地です。
■平清盛に愛された仏御前は、実は原町生まれの美女だった
平清盛に寵愛を受けた仏御前が黒髪を切り、尼になったのは17歳の時でした。それは安元2年(1175)の秋のことで、それまで清盛の愛を一心に受けていたのは祇王、祇女。清盛の心移りを嘆き、世の無常を感じ、嵯峨野で尼になったのでした。 翌利、18歳の仏御前も小松・原の地に帰って、庵を結んだといわれています。現在、庵の跡地は御前様屋敷と呼ばれ、3基の墓石が建てられ、村人の手で小菊や山野草が活けられています。

平成19年5月29日更新
■冷やしたトマトが美味しい
太陽の陽で熟れたトマトほど香りも良く、美味しい肴はありません。ビタミンAやCがたっぷり。高血圧を予防してくれるカリウムやリコピン、ルチンもふくまれ、血液の流れを良くしてます。酸味も食欲を出してくれます。美味しいトマトはへたの緑色が濃く、ぴんとして新鮮なものがよく、皮に張りとツヤがあり、ずっしりしたもの。
酒の肴には、トマトをスライスして、タマネギ、セロリをみじん切りにしたものに、ポン酢をかけていただきます。低エネルギーで、一個あたり、約40キロカロリーしかありません。

(トマトは南米ペルーが原産。江戸時代に観賞用として伝わり、食べるようになったのは明治に入ってからです。)

■遊女の墓がある串の茶屋町
寛永年間、一里塚があり、そのそばで府中屋が遊女を置いたのがはじまり。文化・文政の頃には、二十軒に近い遊女屋があったとされる。加賀藩領でなく、大聖寺藩領であったため、禁制とはならなかった。盆踊りの唄にも出てくる、品川と徳兵衛の情死。また、喜世川と吉三郎の情死が名高い。そうした悲恋の物語を語る遊女たちの共同墓地も残っている。酒蔵・加越から車で5分。
■文政年間に、九谷吉田屋窯の色釉薬をつくった、粟生屋源右衛門。
有名な色絵磁器吉田屋。古九谷の復活と称された。小松の人・源右衛門は木工品とも見間違うほどの楽焼もつくり、天保年間には小松蓮代寺に窯を築き、文久3年に亡くなった。
■関が原の前哨戦が行われた小松・浅井なわての戦場。いざ、出陣。
その昔、小松は秀吉配下の武将で加賀守・丹羽長重の領地であったが、慶長5年で関が原の合戦のおり、丹羽長重は石田三成から北陸道の総督にするとの書状を受け取り、西軍に。
東軍の徳川に組みした前田利長の軍、二万五千に対して、三千の兵でおびやかした。大聖寺攻めをした後の前田軍の後衛、長連竜父子を浅井・なわての地で襲う。油断していた長の武将九人が戦死し、今なお墓を残している。丹羽長重は西軍が敗れたため、家康に封を奪われ、蟄居する身となってしまい、のち、常陸の国に一万石となる。小松は利長の領地となり、城代が置かれた。
なお、この地は酒蔵・加越から車で5分のところにある。

■小松に浮城を築いた、前田家三代目利常公。
利常は幼名を猿千代といい、慶長六年、兄利長の世継ぎとなり、徳川秀忠の珠姫を妻とした。大坂の両陣で戦功をあげ、従三位権中納言になる。寛永16年に隠居し、丹羽長重がいた小松の地に二十二万石をえて、城を再築。梯川の水を利用した、浮城にする。利常は小松にいる20年間、お寺や神社を保護し、現在の小松の町づくりをし、66歳でこの地で亡くなった。 幕末まで一国一城の制のため、城代やお城番を置いた。城は明治5年に壊され、わずかに櫓台の址を残すだけである。

平成18年12月16日更新
■田の肉ともいわれている、レンコン
「加賀レンコン」の歴史は古く、五代藩主前田綱紀の頃から、金沢小坂で栽培が始まったとされています。太くて、節と節の間が短く、肉厚なのが加賀レンコンの特徴。モチッとしているのは、澱粉室が多く、粘りがあるからです。それでいて、シャキシャキした歯ごたえ。妊婦の乳の出を良くし、体にも良く、夜尿症にも効果があり、酒の肴にも最高。煮て良し、酢レンコンにも良し。アクも少ないので、すりおろして、レンコン汁もお楽しみいただけます。その白さが冬を温かく美味しくしてくれます。
■寒鰤の美味しさは、冬の至宝
冬はナマコ、牡蠣、岩ノリなど珍味がとれますが、蟹や鰤は冬の王者です。とりわけ、脂がのった寒鰤は荒波を生きてきただけあり、身も引き締まり、そのおいしさも格別。刺身に良し、鰤と大根を炊き合わせた鰤大根、塩焼きといろんな味を楽しむことができます。鰤のしゃぶしゃぶも、あっさりしたポン酢で味わうと、またいちだんと。酒を飲み過ぎないようにしなければならないほど、冬の日本海は美味の宝庫。鰤にかぶらを挟んで麹で漬けた「かぶら寿し」の美味しさも加賀の味です。
ひとりでいろんな役を兼ねる鰤は、まさに冬季料理にはかかせませんね。

■鵜様はいずこへ、古式豊な鵜祭
12月16日・羽咋市気多大社

「鵜祭り」は殿上の執事役が「うとべり、うとべり」と呼ぶと、白丁姿をした鵜補部3人が鵜籠を抱え、本殿下にかしこまり、鵜は籠から神前に放たれます。鵜の案上(木製の台)への登り方、舞い方で、新年の吉凶を占います。
■泣く子はいないか、あまめはぎ
1月6日・輪島市門前・皆月にて

奇怪な面様を付け、木槌を打鳴らした若衆が地区内の家を回りながら、『怠け者や親の言うことを聞かない子供はいないか』と戒めて歩きます。国指定無形文化財の「あまめはぎ」
■榊の技をふりまわす、面様年頭
1月14日・20日・輪島市

輪島市輪島崎町で行われ、串柿面と女郎面を付けた子供が夫婦神となって、地区内の家々を順訪。面様は、榊の小枝で玄関戸を打鳴らしてから家に入り、神棚を背にして当家の主人の挨拶と初穂を受け取り次の家へと移動します。
■松葉で豊作を祈る、ぞんべら祭
2月6日・輪島市門前

田の荒おこしから田植えまでの行事を行い、豊作を祈る祭り。拝殿の中央を田になぞらえ、氏子総代が「農の次第」の巻物を読み上げ、農耕のしぐさををしながら、「エエゾンベラエエゾンベラ」の掛け声を。すげ笠の娘が松葉で田植え模様を演じていく。
■白い雪に舞う、幻想の文弥まつり
2月第2・3の土・日曜日 白山市鶴来

約300年前に京都から山深い尾口・東二口に伝えられたと言われる。「でく」という人形を浄瑠璃に合わせて舞う人形芝居です。古式が残る伝統豊かな文弥人形浄瑠璃。雪がしんしんと降る夜のひとときをお楽しみいただけます。
◎祭りの日は年によってかわることもありますので、事前に調べた上お出かけください。

冬の浜辺に36歌仙貝を訪ねる
羽咋郡志賀町の旧富来の増穂ケ浦は36歌仙貝の浜で知られています。和歌に出てくるホラ、アワビ、アコヤ、ニシキなど、きれいな色の貝を拾えるのは、全国でもここ増穂ケ浦だけ。大風の後に、ぶらりとお出かけください。サクラ、ワスレ貝の唄を口ずさみさがら、吹き寄せられた貝を探して、冬の浜辺を散策するひと時でも・・・。

加越歳時記
酒造り唄

昭和40年頃まで、モロミを攪拌する時や、洗い物をする時など、「酒造り唄」が歌われていました。今ではあまり歌われることはありませんが、当時唄を歌えないと給料が半分になる「唄半給金」とも言われたりしました。腕時計のない時代、時間を均等に計るうえで、非常に大切な「酒仕込み」の道具と言えました。
寒の入り
年末から2月にかけての寒さ本番の時季はいちばん酒造りに適している季節です。酒蔵・加越でも、大吟醸の造りが真っ最中。米洗い、蒸した米を運ぶ作業など、ほとんどの作業が杜氏を中心とした手作業で行われます。妥協を許さない【酵母・麹菌】やお米と一致団結した真剣勝負が今まさに始まります。
3月には酒蔵開放も行われます。お楽しみに! 蔵人・奥田


平成18年8月7日更新
■秋ナス嫁に食わすなについて 。
この時期、ナスは焼いてよし、油炒めによし、塩漬けによし。ソーメンとの煮物も地味ながら、ふるさとの味。目の醒めるような濃紺色はまさに日本の色。そんな秋ナスが美味しすぎるので、嫁には食わせたくないという説や この時期は種が少ないので、嫁に食わすと子供が出来なくなってしまうとする説、食いすぎると腹が冷えてしまうから・・・食わすなという説があるようです。いずれも美味しいナスを嫁に食わせないための・・・言い伝えのような気がしてなりません。
■茗荷(みょうが)を口にすると、物忘れがすすむ?
昔、釈迦の弟子に槃特(はんどく)という名の人物が居いて、物覚えが悪く、自分の名さえ忘れてしまうので、名札をかけていたが、しまいには、その名札をかけていたことさえ忘れてしまったとか。死後、彼の墓のまわりに生えてきたのが・・・茗荷でした。 ですから、茗荷を食べると物忘れがすすむというのは迷信ですぞ。酒の肴に、刻んだ茗荷をかけると、風味も一段と増すというもの。
■サンマが出ると、按摩が引っ込む?
初秋になると、脂がのったサンマが出回ってきます。そんな美味しいサンマを食べると、元気が出て、按摩の用にならなくてすむということです。サンマは蛋白質もあり、とりわけビタミンB12が豊富にあり、秋のスタミナ食の王様。

■皆月山王祭 8月10、11日
旧門前町皆月で行われ、吹流しを付けた曳山が地区内を巡行し、翌日には海岸沿いの道路に設置された御仮屋でお休みに。日吉神社境内で馬駆け神事が行われる年もあります。
■一向一揆まつり 8月13、14日
旧鳥越村で行われる「一向一揆まつり」。鳥越村の山里に「百姓ノ持チタル国」として織田信長に最後まで抵抗した山内(やまのうち)衆の偉業を偲んで開催され、横笛や薪能、灯籠流し、一向一揆・仮装行列、和太鼓の競演、踊りの夕べが行われます。
■天領祭 8月17、18日
旧門前町黒島町で行われます。子供奴振り行列、御輿、大阪城と名古屋城をかたどった曳山が町内の北側と南側に分けて巡行。藩政期、黒島は天領地であり、北前船で賑わった面影が感じられます。
■にわか祭り 8月24,25日
旧能登まち鵜川で行われ武者絵が描かれたあんどん風の奉燈(袖キリコ)が花火の後、走ったり、大きく揺すったり、回したりしながら巡行し、海瀬神社へと進みます。海瀬神社に全てのにわかが到着すると激しく乱舞します。加賀藩前田家13代藩主前田斉泰公が当地を巡視に訪れた際、住民がにわかにキリコを組み立てて旅情を慰めたことから始まったといわれています。
■ぐず焼まつり 8月17,28,29日
加賀市動橋町で、十メートルの巨大なグズ(魚のお化け)や中グズ、子供グズの造り物が町内を練り廻されます。神社を出発したグズは、JR動橋駅、小学校前などで乱舞し、巨大グズはその夜、神社に戻って焼却退治されます。
■蛸島キリコ祭り 9月10,11日
珠洲市蛸島町で行われ、16本の豪華なキリコが練り歩き、翌日の夜は県指定無形文化財の「早船狂言」が高倉彦神社で披露されます。
■柳田大祭 9月16、17日
夜9時頃、キリコが白山神社に集合し、御輿とともに神社から数百メートル離れたお旅所へと渡御。大松明が燃やされ、花火大会も行われます。能登最大のキリコが立てられます。
■お熊甲祭 9月20日
七尾市中島町宮前で行われる国指定重要無形民族文化財の祭。御輿と枠旗が鉦、太鼓を鳴らしながら猿田彦に先導され、久麻加夫都阿良加志比古神社(くまかぶとあらかしひこじんじゃ)に集合し、お旅所の加茂原まで渡御。加茂原では枠旗をさし上げ乱舞し、枠旗を地上すれすれに傾けて進む島田くずしは必見。


平成18年4月27日更新

■風味抜群の山菜の美味しさ。
この時期、ワラビやゼンマイ、山ウドなどの山菜が採れだします。野菜売り場で手に入れることの出来ない、自然100%の香り。あくを出して、酢味噌であえていただくと、晩酌もついついすすんでしまいそう。昔からの風味です。 懐かしくもあって、車を止めて、山菜採りに夢中になってしまいがちですが、村で山菜を栽培していることもあります。入山禁止の所も多いので注意しましょう。
■白山シャクナゲの花咲く頃。
シャクナゲと新緑のブナ林が美しい富士写ヶ岳や石川県南部で最高峰の大日山、白山連峰が眺望でき、カタクリが群生。まだまだ残雪を踏んでの山歩きです。この時期は、上に上がっていくほど、季節を遡るかのようです。 白峰の奥・勝山へ抜ける途中の西山には車で行けます。正面に白山がどんと見え、それは気分も爽やか。カメラやスケッチブックを手にどうぞ。帰りは温泉に入ったりして。
■春山は、熊にご注意を。
子連れの熊に出会うのもこの頃です。ラジオを鳴らしたり、歌を唄ったりしながら歩きましょう。小熊を見かけたら、必ず親熊が近くにいます。朝一番の山歩きは避けましょう。
■子供歌舞伎、お旅まつり。
5月13日〜16日・小松市
見どころは曳山の中で演じられる、小学生女子による子供歌舞伎。昔、加賀三代藩主前田利常が小松城で隠居していましたが、没後は町も急に寂れてしまい、その解決策として、曳山芝居が考案されたといいます。今や、秩父・長浜同様に全国的に有名です。
■日本一の山車が登場、青柏祭(せいはくさい)。
5月13日〜15日・七尾市
江戸時代から続く、大地主神社(山王神社)の春祭。三台の曳山が出ますが、高さ12メートル、重さ20トン、車の直径が2メートル。昔ながらに藤ツル、ムシロの材料を使用。とりわけ、大デコを使っての方向転換は見事。
■四百年前から伝わる、大野神事能。
5月15日・金石大野・寺中町
二代藩主前田利長が奉納したのが始まりとされます。大野湊神社境内の能舞台での神事能。
■高らかになるラッパ、おかえり祭。
5月22日朝〜23日深夜・白山市
年に一度、男神と女神が逢うという旧美川町の神事。御輿が先駆けし、山車の13台に続いて、若者のラッパ隊が町をねりまわります。
■湯の町がわっしょい、しょうぶ湯祭。
6月3日〜5日・加賀市山代温泉
菖蒲で飾った御輿ををかついで、粋な姿の湯女が町を練り歩きます。湯には菖蒲をくくって入れ、一年の健康と幸せを祈ります。町があやめ一色につつまれます。
■能登のキリコが勢揃いします。
6月上旬・能登和倉温泉
御陣乗太鼓をはじめ、能登各地の太鼓やキリコが、和倉温泉に集まります。威勢よく打ちならされる太鼓の音に心が躍ります。
■お待たせ、百万石祭がやってきます。
6月10日〜11日・金沢市内中心部
加賀鳶、加賀獅子舞をはじめ、戦国時代の装束の武将や槍持ち、珠姫、奥女中、そして祭の主役は前田利家。藩祖利家の金沢入城を記念しての祭です。今年の利家役は高島政宏さんです。 例年と変わり、三時半に駅前を出発し、武蔵、香林坊、広坂の順路です、ご注意を。九日は七時から浅野川で加賀友禅燈籠流しが見られます。夢幻の世界が繰り広げられます。
●お祭の日時が変更されることもありますので、お確かめの上お出かけください。

平成18年3月17日更新
■寒さも、おいで祭りまで
3月18日から23日・気多大社
羽咋市寺家気多大社で行われる「おいで祭り」。御幣を立てた神馬を先頭に社名旗や神輿など50人程の行列が気多大社を旅立ち、七尾の気多本宮までを往復する5泊6日、300キロの巡行うぃ行います。気多本宮には21日に到着し、23日に気多大社に戻ってきます。気多本宮までを「おいで」、西回りを「お帰りおいで」とも言われ、大国主命が邪神を退治して邑知平野を平定したという伝説に由来することから「平国祭」とも呼ばれています。でも、今年はどうなることやら・・・。
平成18年3月14日更新

■うまく当たれ、的打ち神事
3月15日。珠洲市三崎町寺家にて
須須神社金分宮で神事を行い、境内では、宮司が東西南北の一方向づつ弓を構えては的に向かって計4回矢を放ちます。矢が的に当たると、いい年になるとされています。

平成18年3月1日更新

■原始神道、石仏山祭り
3月2日。能都町柿生神道にて
祭りが行われる石仏山は、今も女人禁制の「結界山」であり、山中にある高さ3メートル、幅60センチの「前立ち」と呼ばれる柱状巨石で神事が行われます。原始神道の形を今にとどめているとされ、「お山」が「山の神」「田の神」として信仰された神体山としての古い形態を残している神事です。

平成18年2月16日更新

■雪に舞う、でくまわし
2月18日(土)19日(日) 白山市鶴来
白山市鶴来深瀬新町の「でくまわし」。約300年前に京都から尾口の深瀬と東二口の二地区に伝えられたと言われ、「でく」という人形を浄瑠璃に合わせて舞う人形芝居です。尾口東二口でも毎年2月の第2土・日曜日と第3土・日曜日に文弥人形浄瑠璃が行われています。

平成18年2月14日更新

■雪ノ下から、もう顔を出しています。

 山も里も寒波に襲われ、屋根雪下ろしも久し振りにさせられました。でも、木のまわりの雪から融けだし、木々の芽がふくらむのも間近です。
 ほろ苦くて、春の香りが高い主役はなんといっても、ふきのとう。やさしい緑が白い雪の間からから芽吹きます。白い花が咲く前の、小さくて固い方が香りもよさそうです。味噌和えは、少量の醤油と味醂を加えるとなお美味しくなります。佃煮は水飴を加えるとつやが出て美味しくなります。また、煮びたしで一献。春に酔うひと時ゆかし。

■いただきます、もっそう祭り
2月16日・輪島市にて
輪島市久手川で行われる「もっそう祭り」。藩政時代、厳しい年貢の取立てに怒った農民が隠し田で作った米をこっそり炊いて、年に一度、腹一杯食べてのが始まり。先人の苦労を偲び豊作を祈りながら、輪島塗のお椀に盛られた約5合の御飯を食べます。

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